富田城と周辺

2019年6月9日、車山は農道からは車山登山口へ入れず国道から南を廻り込んだ。 道路が工事中で岩舟の入り口の先は通行止めとなっていた。
富田八幡宮は入り口を探すのに手間取ったが、鳥居の向かいにある駐車場から歩いて入れた。 日御碕、須佐とともに三大社だったと言われる。
道の駅Pを起点に約3時間の歴史コース。新宮谷に入り尼子奥都城、新宮党館跡、山中鹿之助屋敷跡を見学し、 菅谷口へ入って城安寺を経て山中御殿に登り、最後に巖倉寺の堀尾吉晴墓と山中鹿之助供養塔を訪れ、 最後に歴史資料館で公開されたばかりの史実に基づく月山富田城模型を見た。


車山(208m)

農道からは車山登山口へ入れず国道から南を回り込む。岩舟は道路の工事中でここから先は通行止めだった

長谷コースの登山口

ここまで林道が入っていた

車山山頂は朝に草刈りが終わったばかりだった

狼煙はここから嵩山へ、そしてに旅伏山、壺背山、大袋山へリレーされた

山頂から月山が見下ろせる

安来の街と十神山が見渡せる

山頂に咲くササユリは保護

通常の登山口は田頼。8台分の駐車場がある

狼煙の管理には健康な2名が交代で付いたと言う


富田八幡宮

入口は石段登りから

参道が奥まで続く

ここから本殿へ

親子の狛犬が出迎え

お手玉の狛犬も

本殿へ

本殿の天井画は鳴き龍

凝った彫り物

大きな瓦が置いてあった


新宮谷

新宮橋が入口

尼子奥都城の碑。一帯に新宮党が城を構えていた

元就の息子、毛利元秋の墓

毛利元秋は尼子滅亡の後、富田城を治めた

新宮党館跡

武力集団の新宮党は毛利の策略に会い尼子に惨殺された

館跡の拝殿

土塁に囲まれた高台にある広い屋敷跡

新宮谷には歴史の匂う民家が多い

正面に京羅木山と勝山城跡、右奥に砦の三郡山

山中鹿之助屋敷跡の登り口

屋敷跡の入口

屋敷跡は質素。山側に水が流れていた


菅谷口から山中御殿

城安寺の境内

本堂の左奥に砦尾根への積み跡があった

谷の上に二の丸、三の丸が見える

菅谷口の虎口は強固

山中御殿

塩谷口は尼子に閉鎖された

巖倉寺の石段を登る

巖倉寺の更に奥へ進むとこの標識

ここが富田城を治めた堀尾吉晴の墓

その奥に山中鹿之助の供養塔があった

歴史資料館に出来た月山富田城のジオラマ。菅谷口の東に砦群の尾根がある

史実に基づいて再現された本丸、二の丸と三の丸

山中御殿は強固な石垣に囲まれていた

富田川は今より西を流れ、山麓に城下町が広がり賑わった

新宮党と新宮の部落が谷に広がっていた(古い模型より)